夫からテキストが届いた。『結婚記念日おめでとう、愛しの君。仕事から離れられそうにないんだ』。だが私はすでに彼のオフィスにいて、彼が他の女と激しくキスを交わしているのを見つめていた。その時、背後から突然誰かが囁いた。「静かに。本物のショーは、これから始まるから」
【始まり:サプライズと嘘】
夫のエリックと結婚して、5年目の記念日。 大企業の財務ディレクター(Finance Director)として日々多忙を極める彼を驚かせようと、私はサプライズを計画した。彼の好物を作り、高級なワインを買い、美しい赤のドレスに身を包んだ。
夜の8時、彼のオフィスのフロアに到着した。フロア全体はすでに暗がりにつつまれていたが、コーナーにある彼のオフィスだけが、ぽつんと明かりを灯していた。
足音が響かないよう、ヒールの音を忍ばせて静かに歩いた。オフィスのガラス扉に近づいたその時、私のスマートフォンが短く震えた。
エリックからのテキスト(メッセージ)だった。 『結婚記念日おめでとう、愛しの君。早く会いたいよ。本当にごめん、今日は仕事から離れられそうにないんだ。書類の山に埋もれてる。明日絶対に埋め合わせをするから、約束する。愛してるよ』
私は思わず微笑んだ。なんて仕事熱心な夫なのだろう、と誇らしく思った。
しかし、顔を上げてガラス扉のブラインドの僅かな隙間から中を覗き込んだ瞬間……私の世界は音を立てて崩壊した。
彼は書類など持っていなかった。仕事など、これっぽっちもしていなかった。
エリックは高級なマホガニーのデスクの上に腰掛け、その膝の上には、美しく聡明で有名な彼のボス――副社長(Vice President)のサブリナが乗っていた。二人は情熱的に、激しく口づけを交わしていた。エリックが彼女のブレザーを脱がせながら、二人が忍び笑う声が私の耳に生々しく届いた。
「ねえ、エリック」サブリナが甘ったるい声で囁いた。「あの退屈な奥さんはどうするの? 今頃あなたを待ってるんじゃない?」
エリックは笑った――5年間の結婚生活の中で、私が一度も聞いたことのないような冷酷な嘲笑だった。 「さっきメッセージを送っておいたよ。あの女は馬鹿みたいに騙されやすい(uto-uto)から、俺が仕事をしてるって盲信してるさ。人が良すぎて、疑うことすら知らないんだ」
胸を刃物で抉られたような激痛が走った。血の気が引き、食べ物の入った紙袋を持つ私の手がガタガタと震え出した。叫び出したかった。ドアを蹴り開け、持っているワインボトルを二人の頭に叩きつけて、大声で泣き叫びたかった。
怒りに任せてドアノブに手をかけようとした、その瞬間……
【暗闇のストレンジャー】
熱く大きな手のひらが、背後からそっと私の口を塞いだ。屈強な腕が私の腰に回り込み、そのまま廊下の暗がりの奥へと私を引き戻した。
恐怖に目を見開き、必死で抵抗しようとした。
「しっ、静かに」低く、驚くほど冷静な男の声が耳元で囁いた。彼は私を自分の方に向き直らせ、口を覆っていた手をゆっくりと離した。
目の前にいたのは、仕立ての素晴らしい黒の高級スーツを纏った、背の高い男だった。端正な顔立ちに、冷徹だが深く澄んだ瞳。その手には、小さなリモコンのような端末が握られていた。
「あ、あなた……誰なの!?」
ストレンジャーは、冷たくもどこか同情を湛えた目で私を見つめた。暗い廊下であっても、その顔を隠すことはできなかった――彼は、エリックとサブリナが勤めるこの巨大複合企業(コングロマリット)の、滅多に表舞台に現れない謎めいたCEO、エイドリアンだった。
「静かに。本物のショーは、これから始まるから」 エイドリアンは再び低く囁くと、手元のリモコンの赤いボタンを静かに押し込んだ。
私が驚きで固まるよりも早く、フロア全体に聞き覚えのある音が響き渡った――エレベーターがこの階に到着する音だ。だが、それだけではなかった。オフィスのいたるところにある全ての巨大なスクリーンやモニターが、一斉に光を放って起動した。 エリックのオフィスの外にある大画面には、ある映像がライブ配信(生中継)で映し出された。それは、エリックのオフィス内部を信じられないほど鮮明に捉えた隠しカメラの映像だった。二人の醜い裏切り行為、そして私のことを『馬鹿みたいに騙されやすい』と嘲笑う夫の声が、今やフロア全体に大音量で放送されていた。
「これ……一体どういうことですか?」私は溢れ出る涙を拭いながら、エイドリアンに声を詰まらせて尋ねた。
「君の夫と私の副社長が騙していたのは、君だけではないんだ」エイドリアンは冷徹に答え、丁度開いたエレベーターの方向を見つめた。「私は2ヶ月前から二人を調査していた。彼らは私の会社から巨額の資金を横領していたんだ。偽造の財務報告書を作成し、数百万もの資金をダミー口座に流していた。そして今夜が、彼らにとって最後の仕上げとなる署名の日だった」
エレベーターから、フォーマルなスーツに身を包んだ集団が次々と降りてきた。会社の取締役(Board of Directors)の面々、さらには警察官や国家捜査局(NBI)の捜査官たち。そしてその最後尾から、車椅子に乗った一人の老人が現れた――サブリナの父親であり、この会社の会長(Chairman)その人だった。
取締役たちがモニターに映し出された生々しい不倫と横領の現場を目にした瞬間、フロアは激しい怒りと驚愕のどよめきに包まれた。
「ドアを開けろ」エイドリアンが警備員に冷酷に命じた。
バァン!!
ガラスの扉が荒々しく押し開けられた。 エリックとサブリナは飛び上がるように驚き、サブリナは慌てて衣服を整え、エリックは押し寄せる大軍勢、何より会長と警察の姿を見て、完全に顔面蒼白になった。
「お、お父様!? どうしてここに……」サブリナが声を震わせた。
「この恥さらしめが!」老いた会長は、激しい怒りのあまり胸を押さえながら怒鳴り散らした。「サブリナ、お前を信じていたのに! そしてエリック、お前はこの会社が育ててやった恩を仇で返すのか!」
混乱の渦中、エイドリアンは私の手を引きながら、二人の目の前へと堂々と歩み出た。 エリックが、赤いドレスを着て食事の袋を抱えた私の姿を視界に捉えた瞬間、彼の膝は完全に崩れ落ちた。
「あ……アンジェラ……」エリックは掠れた声で、必死に私に這い寄ろうとした。「誤解だ……違うんだ、これはただ……口座の件で打ち合わせを……」
「誤解ですって!?」 人生で初めて、私はこれ以上ない大声で叫んだ。5年間の愛と痛みが、一瞬にして純粋な憎悪へと変わった。私は持っていたワインボトルを床に叩きつけた。ガラスが激しく砕け散り、深紅の液体がまるで血のようにエリックの足元へ広がっていく。 「全部聞いていたわよ、エリック! 私は『馬鹿みたいに騙されやすい女』で、『人が良すぎて疑いもしない』男の都合のいい身代わりだったのね!?」
「頼む、アンジェラ、許してくれ……話を聞いてくれ」彼は私のドレスの裾を掴もうと、床に膝をついて必死に懇願した。
しかし、彼の手が私に届く前に、エイドリアンが冷然とその間に割って入った。 「エリック、その汚れた手で彼女に触れるな。君は妻の信頼を裏切っただけでなく、自分の人生そのものを完全に破滅させたんだ」
警察官が前に進み出、逮捕状を突きつけた。 「エリック・サントス、およびサブリナ・バルデス。重窃盗罪(Qualified Theft)、公文書偽造による詐欺罪(Estafa)、そして経済破壊工作(Economic Sabotage)の容疑で逮捕する。お前たちには黙秘権がある……」
エリックの手首に冷たい手錠がかけられる間、彼は絶望に満ちた目で私を見つめ続けた。 「アンジェラ、俺を捨てないでくれ……君が必要なんだ……」
私はただ、氷のように冷たい眼差しで彼を見下ろした。5年間かけて築き上げた愛は完全に融解し、鋼のような決意へと変わっていた。 「結婚記念日おめでとう、エリック。私からの最後のプレゼントは、婚姻無効(アナルメント)の書類への署名よ。これからの記念日は、せいぜい冷たい檻の中で祝い続けることね」
涙を流し、無様に許しを請うエリックとサブリナは、捜査官たちによってエレベーターへと連行されていった。二人の姿が完全に消えたとき、私は深く息を吸い込んだ。胸を締め付けていた巨大なトゲが、ようやく綺麗に抜け落ちたような解放感だった。
エイドリアンが私に向き直り、清潔なハンカチを差し出した。 「ショーは終わった。もう君は安全だ」
私はハンカチを受け取り、最後の涙を静かに拭った。そして彼をまっすぐに見つめ、心からの感謝を伝えた。 「真実を見せてくれて、ありがとうございました、エイドリアン」
彼はかすかに微笑んだ――その微笑みは、この夜が残酷な嘘の終わりであると同時に、私が二度と誰の『操り人形(uto-uto)』にもならない、新しい人生の美しい幕開けであることを物語っていた。